服部浩之 | 2017/04/01(土) 07:00
裏切りへの期待
2016年3月末、小山市車屋美術館学芸員の中尾英恵さんと名古屋で会った際に、2017年度の車屋美術館での展覧会を一本ゲストキュレーターとして企画するよう打診された。このときは、キュレーターとして参加していたあいちトリエンナーレ2016がちょうど開幕まで半年を切り、ほぼ全てのアーティストが決定し、各アーティストのプロジェクトの方向性や予算の大枠を固めていく時期だった。あいちトリエンナーレは、国内でもおそらく最も規模の大きな芸術祭のひとつで、少なくとも僕にとってはそれまで関わったことのないスケールの事業だ。あまりの規模に、金銭感覚だけでなく様々な感覚が麻痺しはじめていた。
それまでは、全体像が把握できる規模感と予算で、顔の見える範囲の協働者とつくる、自分でハンドリングできるプロジェクトがほとんどだった。非常に大きなものを動かしているような錯覚に戸惑いつつも、無意識のうちに不思議な快感みたいなものも感じていた。これまで、ある程度意識的に周縁や辺境的状況を選択してきたこともあって、社会の構造や権力関係と自身の自立性については、強く意識していたつもりだったが、そのような意識や感覚が少しずつ麻痺していった。感覚の麻痺を避けるためにフリーランスという道を選んだにも関わらず、いつのまにかなんだか大きな力に支えられ、巻き込まれていることに無意識になっていたのだ。
車屋美術館での展覧会の話をいただいたのが、ちょうどそういう時期だった。この展覧会は、その当時従事しているいくつかの事業に比べると、とても小さな規模で、大したことは何もできないんじゃないかと感じた瞬間さえあった。そんなことを一瞬でも自分が感じるようになっていたことにはっとした。お金がなくても、どんな規模でも、アイディアとネットワーク、そしてその状況を楽しむ態度でずっと続けてきたはずなのに、その態度が崩れそうになっていたことを自覚し驚愕した。この展覧会のことを真剣に考えることで、そんな自分の変化に気付かされた。単に展覧会を実施するというだけではなく、自分自身の根幹を再認識する機会となっているのだ。
結局、僕はこれまでアーティストとなにか新しい状況や物事を生み出すという、とてもシンプルなことにトライし続けてきたことに気づいた。学術的に位置付けたり歴史化するよりは、まずは生み出してしまうこと。そんなことをやってきたのだ。そして、そんな実践を改めて振り返り、未来へとすすむためには、アーティストと関わるなかで、何かこれまでとは別の方法を発見しなければと少し危機感さえ抱いている。そしてそのためには、ひとりのキュレーターがテーマを立てて訴えるようなグループ展ではなく、ある存在感を持った対等な立場の他者を招き、彼(または彼女)と対話することで、まだ見えない「なにか」を掴みたいと考えている。最初は特定のアーティストの「個展」というシンプルな形式を前提に考えていたが、田村友一郎という作家を招いたことで、どうやらそう単純には事は進みそうにない。
田村友一郎は、常に目の前にある状況や関係を俯瞰して捉え、そこに静かにユーモアをもって横槍を入れるようなアクションを起こす作家だ。基本的に真正面からではなく、すこしズレた地点から思いもよらぬ応答を返してくる。正面から問いを投げかけ、協働を促しても、まず直球で応答が返ってくることはない。側面から独自の分析を加え、リアクションしてくるに違いない。この予測不可能な反応にずっと興味を抱いてきたが、少し怖くも感じていた。
田村友一郎による鮮やかな「裏切り」に、一抹の不安と同時に大きな期待を抱きながらも、ではそれに対して自分はどのように応答することができるだろうかと考え続けている。いずれにしてもこの展覧会は、未だまったくかたちが見えていない。公開まであと半年。まことに不安な旅路である。

在キューバロシア大使館。本文と直接の関係はないが、現在においてロシア構成主義的建築を直に目にすることは、とても不思議なものだ。さて、私たちの展覧会はこのような上昇的で構築的なものとどのような距離感をもつだろうか。