試論:栄光と終末もしくはその週末 / Week End

田村友一郎[アーティスト
服部浩之[キュレーター]

アーティストの田村友一郎とキュレーターの服部浩之による展覧会。都市/生活/メディア、そして公共を切り口に両者がクロスするかたちを模索しますが、その展開はいまだ不確定です。新たな身体経験を生み出す展覧会のかたちを模索するため、ウェブサイト上でパラレルな対話と思考実験を展開します。

2017年9月23日(土)― 11月26日(日)
@小山市立車屋美術館|栃木県小山市乙女3-10-34 [map]|TEL 0285-41-0968

服部浩之 | 2017/05/23(火) 18:53

曖昧な境界

車屋美術館脇には比較的大きな駐車場がある。駐車場の向かいにある美術館の裏口のような場所を眺めていると、すぐそばで軽作業していたひとりの女性がすっとその中へと入っていった。出てきたところを捕まえると、この美術館の大家さんだという。公立美術館に、顔の見える個人の大家さんが存在するとは不思議な状況である。さらに、驚くことに彼女は美術館敷地内の自宅に今も暮らしていて、美術館のボランティアとしても活動しているそうだ。なんとも奇妙な関係だ。

そういえば、この美術館の立派な門には両側にそれぞれ表札があった。「小川」と「小山市車屋美術館」。

先述の大家さんが小川さんだ。通常美術館は、日常の生活や喧騒から切り離された非日常の静けさへと没入する空間だ。ところが、ここはそういう境界が限りなく曖昧だ。敷地内から外を向くと、入り口の先には郊外のロードサイド型の店舗が並ぶ風景が漏れ広がっている。そして敷地内を見回しても、庭や蔵をもつ由緒ある住宅といった趣で、日々の暮らしの延長のように感じ、公立の美術館という印象はあまりない。

敷地内を観察すると公私の境界が曖昧につながる面白い状況がたくさん目に入ってくる。大家である小川さんの個人宅も敷地の一部にあるため、観客や職員用の動線と小川さんのための動線がそれぞれパラレルに存在する。その動線はきっちり分かれているようで、実際には曖昧に溶け合っている。
美術館側と小川さん側を隔てる仮設的な仕切り。

しかし、注意深く観察すればするほど面白い状況が発見される。
車屋美術館には、展示可能な建物が三棟存在する。ひとつは元米蔵の展示室。ここはいわゆるギャラリー空間だ。もうひとつは、肥料小屋だった半屋外の展示室。もちろん温湿度管理が必要な美術作品は、ここには設置不可能だ。そしてもうひとつが国の有形文化財にも指定されている小川家住宅。漆喰などを用いて作られた洋室を備えるなど、擬洋風の表現が見出される立派な近代和風住宅で、文化財として公開されている。手入れは隅々まで行き届いており、丁寧に人が世話をしていることがよく見てとれる。大規模ではないため、こじんまりした感じもよい。そして、屋内のいたるところに花器が置かれ季節の草花が活けられている。生花は日々の世話が肝心だ。

美術館の方に確認すると、やはりこの花は小川さんが活けているという。そしてこの邸宅は、隣接する小川さんが現在暮らすはなれ部分と内側から廊下でつながっており、彼女が日々往来し世話をしているのだ。公共財となっているはずの場所と個人のプライベートな空間が溶け合っていて、その所有や世話の感覚も曖昧だ。通常の大掛かりな美術館では考えられない共存のあり方だ。この先が小川さんの生活空間。

僕は2007年から山口市で友人とシェアして住んでいた自宅を少しだけパブリックに開くことを続け、のちにMaemachi Art Center、略してMACと呼ばれる場所を営んでいた。さらに青森市に拠点を移し、そこでも新たなMACを立ち上げ、勝手に様々な活動を展開していた。車屋美術館をはじめてみたとき、なぜか不意にMACのことが浮かんだ。パブリックな場所なんだけれども、同時に個人の存在を匂わすプライベートな空気感があるからだろうか。

ところで、昔の家なら大抵備えていた「縁側」は、家主が内側から、来客が外側から交わる場で、公私を接続するとともに切断する「境界」面であった。そんな空間がかつては至るところにあって、公私は曖昧な境界からグラデーションでつながっていたように思う。長屋なども隣家との連続と共有が面白いものだったが現在はあまり見られない。現在の一戸建て住宅は、塀でしっかりと区切られ、集合住宅も切断された別戸の集合が基本で、曖昧で融通の効く空間はどんどん減っている。

内外の領域が曖昧なMACは、「拡張された縁側」のような場所だった。車屋美術館の奇妙な公私の関係の交わりは、そんなMACの存在を想起させるのだ。
やはり小山市車屋美術館においては、純粋に美術作品を鑑賞する美術のための場という側面よりも、公共施設としては非常に独特なこの施設が孕む関係や構造が気になって仕方ないのだ。公共空間のあり方や美術館の公共性については、様々な側面から考察が可能だろうが、今回はこの具体的な関係から掘り起こしていけたら面白いだろうなと直感してしまった。その結果、必然的にこの美術館の設立時の基本構想に興味が向かっていった。
小川さんの家。美術館に向かって埴輪がならぶ。