試論:栄光と終末もしくはその週末 / Week End

田村友一郎[アーティスト
服部浩之[キュレーター]

アーティストの田村友一郎とキュレーターの服部浩之による展覧会。都市/生活/メディア、そして公共を切り口に両者がクロスするかたちを模索しますが、その展開はいまだ不確定です。新たな身体経験を生み出す展覧会のかたちを模索するため、ウェブサイト上でパラレルな対話と思考実験を展開します。

2017年9月23日(土)― 11月26日(日)
@小山市立車屋美術館|栃木県小山市乙女3-10-34 [map]|TEL 0285-41-0968

服部浩之 | 2017/06/19(月) 01:37

どこでどう生きる

人間が同じ一つの場所に何十年も、何百年も住み着いて、こつこつと自分たちの生活を築いて行くことから文化が生れる。
吉田健一「地を這う文化」、『甘酸っぱい味』p.36, l.5-l.6

 

この一文が伝えるのは、何気無い当たり前のことだろう。しかし、たった10年で三度拠点とする土地を換え、日々移動を繰り返す僕にとっては、身の引き締まることばだ。何がしか文化を築くことに貢献していると思われる現代のアーティストやキュレーターは、根をおろす場所などないかのように、日々驚くほどの移動を繰り返し、様々な場所で作品や展覧会を実現している。これらの行為は、本当にその土地の文化の構築に寄与しているのだろうか。思い返すと僕自身は、「生活をいかに築くか」を考えはじめたことからアートに辿りついたのであった。今回の展覧会では、ある土地と生活や文化の創造の関係を改めて思考したいという思いがあった。

小山市は、典型的な関東郊外の都市だ。東京都心まで二時間足らずで出られるため、首都圏から通勤圏内で多くの人が都心へと働きに出ていく。仕事だけでなく買い物や娯楽も都心で楽しむのは容易で、多くの時間を小山市の外側で過ごしている人も多いのではなかろうか。すると、コミュニティは希薄になり、その場所固有の文化を築いていくのは簡単でないかもしれない。
そんなことを思うと悲しい気分になるのだが、2000年代以降、郊外の中小規模の都市に現代美術を軸とする美術館など文化施設が度々設立されている。小山市車屋美術館は2008年に設立され、間も無く10周年を迎える。前回の投稿で触れたとおり、不思議な背景と関係で成立している場で、ユニークなものであることには違いない。美術館ははたしてその土地から文化を発信すしたり、あるいはコミュニティ再形成の起点となりうるだろうか。郊外のロードサイドの風景の只中に、突然このような文化の場が出現する。少子高齢化により人口が現象に向かうなかで、これらの郊外の衛生都市がどういう未来を迎えるか、そんなことを考えるきっかけがこういう場にあるかもしれない。

子供のころに将来の職業を思い描きはじめた頃からずっと考えているのが、「どこでどのように生きるか」だった。人は様々な事情により生活する場所を選択する。ずっと暮らしてきた土地へのこだわりや、稼業などのやむを得ない事情により、ひとつの土地に留まる人がいる一方で、転勤の多い職業により定期的に複数の土地を渡り歩いて生きていく人や、遊牧民のように土地に根付くことなく移動自体が生活となる人もいるだろう。土地と人の関係は本当に多様だ。
僕自身は、高校卒業まで名古屋郊外の同じ土地に両親ともに暮らししていた。大学で東京に出たのち、意図したわけではないがこの20年弱で20回以上の引っ越しをし、様々な土地での暮らしを経験するに至った。大都市近郊で育ったためか、なんとなく平準化された郊外の風景には馴染みがあった。ただ、自宅も母の実家も川のすぐ近くにあり、水辺の風景には不思議な魅力を感じていた。
大学院在学中に留学したスペインのバルセロナで、日本の大都市とは異なった価値観のもと人々が生活を営んでいることを体感し、激しく揺さぶられた。「豊かさ」は、単純な収入や消費の規模のみに見出されるものではなく、もっと別の多様な価値があることを見せつけられ、衝撃を受けるとともに、都市とその生活の成熟したあり方を知った。バルセロナでの生活がきっかけで、日本の大都市以外の、自分が知らない地方の異なった土地の生活に興味を惹かれた。その後山口県に3年半、青森県に6年半暮らすことになり、土地と人の関係と、それにまつわる誰もがもつ「創造性」をいかに誘発するかを事あるごとに考えてきた。

小山での展覧会の依頼を受け、構想をたてているときに、そういえばアーティストはどこでどんな暮らしを営んでいるのだろうか、ということが気になった。もちろん小山在住のアーティストもいるし、東京を中心とする関東圏にはたくさんのアーティストが存在する。そんななかで田村友一郎は、なぜか熱海に拠点を持っていた。富山出身でその後東京や横浜で長く暮らした彼にとって、熱海が別段ゆかりのある土地とも考えられない。彼が熱海に暮らしはじめたと聞いた頃から、不思議な場所を選んでいるなあと、なんとなく気にかかっていた。頻繁に海外に渡り、リサーチをベースに新たな作品を生み出す彼のようなアーティストは、様々な意味で便利な都心を拠点としたほうが、効率的だし活動しやすいのではと思われるのだが、なぜだか彼は熱海を選択した。
偶然にも、熱海から小山は鉄道の在来線が一本で結ばれており、乗り換えなしの約3時間で、南関東と北関東の端を行き来することができる。太平洋に面した温泉町と山間の盆地という対照的な環境だ。田村氏は、最近熱海の土地に人を招いたり、トークやイベントなどでも度々言及し、なにか新たな事を起こそうとしているようだ。これも興味深いリンクだと感じた。
熱海

小山

ところで、全く解決される糸口が見出されない高齢化や少子化などの社会問題により、日本の多くの都市の生活の風景は、今後もますます変化していくだろう。空き家の増加によるスラム化など、ネガティブで暗い将来像ばかりが語られるが、私たちはそれでも生きていかなければならない。吉田健一の言葉を信じるなら、芸術行為は社会の風景を築く一翼を担うはずだ。円熟と老いへと向かう日本社会において、どこでどのように暮らすかを意識的に考え選び取ることは非常に創造的で、僕はそこに意識的な人に興味をもつ。田村氏は、未来の生活の風景に対して不思議な直感力をもつアーティストだと思う。そういえば彼は「暮らしの手帖」にかつてカメラマンとして勤めていたのではなかったかしら。そんな関係がありそうでなさそうなことを連想をしながら、日本の都市とその生活の現在やこれからの未来をぼんやりと考えるなかで、田村友一郎というアーティストと関わるのが面白いのではと直感するようになった。都市の未来を考えるなら、現在のかたちを築いた過去の歴史に目を向けるのもまた、当然の道理だ。
現在の中央集権と地方に対する搾取の構造は、明治維新から産業革命、そして第二次世界大戦後とその復興によるところが大きいだろう。このような大きな歴史の流れを俯瞰し観念的に思索するのみではなかなかその先には進めないため、まずは小山市という超具体的な土地からこれらの諸問題にアクセスすることを試みたいと思う。戦後日本の近代化をある部分支えてきたのは、東京から拡張していった関東郊外の都市であり、そこから日本の将来の生活を考えてみるのは悪くないと思う。

どこでどのように生きるべきか、もちろん正解や答えはない。僕自身は、まだ見出されていない生活の方法を探るべく、今年から名古屋と秋田にそれぞれ拠点を構え、遠く離れたふたつの都市を往来し、さらに異なった複数の土地での仕事を同時に抱えながら生きている。ある意味でこれは、現在の状況をなるべく多角的に観察し、その先のネガティブな将来像に抵抗する術を見出すべく生活のあり方を模索する実験でもあるのだ。